キリスピブログ(仮)

好きなこと(ひとまずスピッツ)についてわーわー語るブログです。

【ネタバレあり】ワールドトリガー200話・201話(SQ2020年10月号掲載)を読んだ話

どうもこんばんは。

 

キリスピブログ、覚えてますか。

俺は忘れてました()

 

実質2回目にして既に「スピ」ではないのですが、

ワールドトリガーは事実上スピッツであることはよく知られていることなので、

特に問題ないです。ないですよね?

 

 

さて、今回のSQ最新話(200話・201話)。

このブログを読まれるような方はもうご覧になってることとは思いますが、

情報の量、質、重みがとてつもなかったですね。

 

色んな方が色んな表現で死んでました(言い方)

 

 

ちょっとひとつ、自分で言及しておきたいことがあって、

それをつらつらツイートしようかとも考えたのですが、

単行本派その他の方へのネタバレは

こと今回の話に関しては極力避けたいなー、と。

 

よって、これ以降は

本誌最新話まで読まれた方のみ閲覧されることをおすすめします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よろしいですね?

では。

 

 

 

 

 

 

迅さんの言う「会わせたい人」とは、本当にラタとレギーのことなのか?

 

最初に「ん?」とひっかかったのは、とあるツイートを目にしたとき。

どなたのものかはちょっと失念してしまいましたが、

 

まだ迅さんが「会わせたい人」が誰なのか確定してない(要約)

 

というツイートを読んで、自分の抱いていたふたつの違和感に気づきました。

 

①「やつ」でなく「人」

ラタやレギーを指すなら、迅さんなら

「会わせたい”やつ”」

と表現するのではないか?という点。

 

以前迅さんはヒュースのことを指して、

「玉狛第二に入れるなら おれより適任なやつがいる」

と言ってました。

 

「捕虜」と「交渉相手」の違いはあるとはいえ、

双方とも敵国の(迅さんから見て)若き戦士。

 

その呼び方に、区別をつけるかなあ・・・?

というのがまず一点。

 

②「人たち」ではなく「人」

どっちかといえばこっちが本題。

「会わせたい人」が「ラタとレギー」だとすると、

「会わせたい人たち」(もしくは「やつら」)と表現するのが自然では?と。

 

些細なことかも知れません。

 

ただ、8巻で、

「おっと間違えた 『おれが』じゃなくて『おれたちが』だった」

なんて言い回しをしてた迅さんが、「人たち」と「人」を区別しないなんて、

逆に不自然なのでは・・・?

 

 

 

 

以上の2点から、このまま単純にラタとレギーに会わせるのではなくて、

もうひと展開噛ませてくるのでは?という気がしています。

 

 

もちろん、俺が気になっていた点が、特にそういうのではなく、

すんなり2人に会う可能性も大きいとは思います。

その場合、「会わせたい人」がラタのことで、

レギーが「オレなんかじゃ頭数にも入んねえってのか!?」と

キレる展開が見たいです(ひどい)

まあ、ラタが「重要人物」なのではという含みも端々に見受けられるし、

レギーのはおいといて、なくはないかな・・・

 

 

 

以上がこの記事の主旨です!

なにかあればコメントで!

 

 

その他雑感箇条書き

・「瑠花・陽太郎」という名前は元々のものなのか、それとも亡命にあたって

 玄界で暮らすために新たに名付けられたものなのか?

・元々なのだとしたら、近界の成り立ちについて色々推察出来そう

・陽太郎おまえ「しんぱいするな いつかちゃんとうちにかえれる」とか

 どの口でいうてたんや・・・。゚(゚´Д`゚)゚。

・クローニンが陽太郎を「若」と呼んでたのが伏線だったとは・・・

・近界民に初手でぼんち揚げをすすめるな

 

 

 

いや~~~~~~~~~~~~~~~、

ワールドトリガーって、本当に面白いですね!!